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原民喜 「夏の花」 [読書]

10月に丸木美術館ツーリングで「原爆の図」を見た私。

原爆の恐ろしさ、悲しさ、人類の過ちをそこに見ました。

「新聞資料原爆」という本があって、そこには原爆に関する新聞記事が集められていた。
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最初は被害は少ないという口調で書かれていた新聞記事。
戦時中はメディアが正しい報道をしていなかった。
そんな恐ろしい時代。

一瞬の閃光で多くの命がなくなった。

広島、1945年8月6日8時過ぎのこと。

原爆投下の二日前に、亡き妻の墓参りをした彼は、自宅の厠(お手洗い)にいて原爆に遭う。
幸運にも軽症で済んだ彼は
その時の様子や、逃げる時に見た広島の街、傷ついた人々のこと、
亡くなった家族のこと。
避難先の村で肩身の狭い思いをしたこと。
飢えてふらふらになったこと。
行方不明の妻を捜す人が何百人もの女性を抱き起こしては顔を確認していたことなどを目撃した。


原民喜(はらたみき)さんは、奥さんを病気で亡くし、
生きる気力を無くしていた。

そんな折に広島で原爆に遭った。

この惨状を伝えなければ
その思いで、避難生活を送りながらも小説を書いた。

GHQの検閲をかいくぐるため、夏の花というタイトルをつけた。
広島の原爆を描いた小説として読み継がれている。

「日本の原爆文学(1)原民喜」 (原民喜著 ほるぷ出版 1983年)
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(表紙の装画は丸木位里・丸木俊)

この本は私が読むのをずっと待っていてくれたみたい。
出会えてよかった。

原民喜さんは1951年に西荻窪―吉祥寺の線路上で自らの命を絶った。
この本には原民喜さんに想いを寄せる詩人や文学者のメッセージも寄せられていた。

そして今日

原爆死没者慰霊碑に天皇皇后両陛下が献花をしたという記事が夕刊に載っていた。
慰霊碑には被爆してなくなった29万2千人の人の名簿が奉納されているという。
広島の平穏な日はあの日を境に地獄となってしまった。

原子力の持つ恐ろしさを知っていたはずなのに
被爆の恐ろしさを再び東日本大震災で知ることになった私たち。
丸木夫妻は原子力発電所の廃止を求めつづけていた。

でも火山や地震の国で原子力発電所は再稼動されようとしている。

「人々の一人一人の心の底に静かな泉が鳴りひびいて、
人間の存在の一つ一つが何ものによっても粉砕されない時が、
そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は随分昔から夢みていたような気がする。」
(原民喜 心願の国より)


この本を読んで良かった。


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