風防再び★山ウォーキング★日本海みやげ [メンテナンス]
先日、風切り音がすごくて外してしまった風防。。
角度や布垂れを外してみるなどの方法を試したくて、再び装着してみる。
今度は、革パンの端切れを使ってみたら、ハンドルとの隙間を埋めるのにすごく良かったみたい。
(メッシュの革パン)
角度を変えようとしたけど、金具はとてもじゃないけど曲げられず。
試しに取り付けの高さを少し高めにしてみることに。
ちょっと高くなった?
とりあえず布垂れはそのまま(^ν^)
週末はだんなさんが不在で試乗できなかったけど、また今度のお楽しみ。
(ロードバイクで日本海に行ってきたらしい。)
果たして変化はあるのか!?
ワクワク♪
日曜日、娘と山ウォーキング
クマはいなかった( ´ ▽ ` )ホッ
山は気持ちがいいな〜
鳥のさえずりと新緑のコラボに深呼吸。
図書館にも寄って読書したりしてのんびりの休日。
いっぱい歩いたごほうびの手づくりイチゴソースかき氷はメチャおいしかった〜(≧∇≦)
だんなさんの日本海みやげ
クロダイの三枚おろしとあら、サザエ、日本酒♪
お醤油味であら汁に。(肝入り)
料理用のお酒をたっぷり入れるのがポイントかも。
みりんも少々ね(^_−)−☆
雪男はめちゃ辛かった〜( ̄▽ ̄)
多分、過去最辛な気がした。
サザエのつぼ焼きは魚焼きグリルでできました。
我が家のコンロは鍋が異常に過熱すると自動的に火が消えちゃうタイプなので、(しょっちゅう助けられている)焼き芋とか貝焼とかの時には使えない。(´・_・`)残念
でも結果的には魚焼きグリルの方が簡単だった!(笑)
魚焼きグリルって簡単で便利で肉や野菜のグリルにも使えてなかなかの優れものね(^ν^)
話は変わって、
昨日はお湯を沸かしたらなんと麦茶が沸いてしまいビックリ!(≧∇≦)
丸粒麦茶のパックを出し忘れていた。
つまり、二番だし。
これが、、、普通に同じ濃さで出ていたのでさらにビックリ!(笑)
思わずもう一回沸かしてみたら、また麦茶が出来てビックリ!(笑)さすがにちょっと薄かったけど。
今まで一回麦茶を沸かしてはパックを捨てていたけど、3回くらいは(?)使えると判明(笑)(≧∇≦)
最近、沸かした麦茶を500のペットボトルに入れて冷蔵庫に入れている。
これがとっても良い!(^ν^)
何が良いかというと、
★持ち運びが軽いので子どもにもラクラク
★コップに注ぎやすい
★全部を入れたり出したりしなくなるのでいたみにくい
★お出かけの時にはサッと持って出かけられる
★保冷剤がわりにも♪
こういう生活の中の発見って楽しいな(^_−)−☆
版画とバイクかるた [手仕事]
地植えにしたゼラニウムちゃんがとても成長して、かわいいピンクのお花が咲きました(^-^)
ミニトマトとかぼちゃ、ゴーヤも植えました。朝顔の芽が出てきましたよ♪
先日和紙の里で版画体験をしたので版画ブームが始まりました(笑)
材料を出してゴソゴソしていたら子どもに勘づかれ、「やりたい〜(≧∇≦)」
仕方なくゴム版を渡すと、、、
鬼と真田幸村(笑)
小川和紙のハガキを買ってあったので、少し湿らせて刷ってみたらいい感じでした。
それと、もう1つ盛り上がったのが、バイクかるた作り。(笑)
もともとは私が作るつもりだったのだけど、子どもたちも「一緒に考えたい〜(≧∇≦)」というので、順番に考えることに。
「い」つかきっとはしりたいばしょがある
「ろ」ーどをはしるきもちいいね
「ば」いくははやい
「に」ほんかいすべてのけんをせいはしろ
続きはお風呂に入りながらずーっとやってて、「ん」まで完成!
でもお風呂だからメモできなかった〜(^◇^;)
記憶を辿ってみるけど全然思い出せない〜f^_^;
「つ」ーりんぐマップルをもってでかけよう
「れ」っしゃとバイクどっちがはやいかな?
「こ」うそくにのったらこうかいだいじゅうたい
などなど、盛り上がり(笑)
今日は子どもたちと絵札でも作ろうかなと思います。
最近はまっているのがレモンサワー
爽やかなレモンの香りがお気に入り♪
麦焼酎を果汁入りの炭酸で割って、レモンスライスを入れます♪
ツーリング先で買った思い出のグラスで飲むのがサイコー(≧∇≦)
オバマ大統領のヒロシマ演説 [日々のあれこれ]
伊勢志摩サミットに訪れたオバマ大統領が昨日ヒロシマを訪問しました。
被爆者の人たちを前に述べた所感の全文がニュースに掲載されていたので読みました。
17分にわたる演説だったそうです。
被爆された男性と握手をしながら話す姿をニュースで見て、胸がいっぱいになりました。
以下、演説全文です
「71年前の晴れた朝、空から死が降ってきて世界が一変しました。せん光が広がり、火の海がこの町を破壊しました。
そして、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示したのです。
なぜ、私たちはこの場所、広島を訪れるのでしょうか?
私たちは、それほど遠くはない過去に、恐ろしいほどの力が解き放たれたことを深く考えるためにここにやってきました。
この場所に来て10万人を超える日本の男性、女性、そして子どもたち、数千人の朝鮮半島出身者、数十人のアメリカ人などの犠牲者の死を悼みます。
犠牲になった人たちの魂が、私たちに語りかけています。
もっと内側を見て、私たちはいったい何者かを振り返り、今後、どのようになろうとしていくべきか、私たちに語りかけています。
戦争は広島だけが特別なのではなく、暴力的な紛争は古くから行われています。われわれの祖先は火打ち石で刃を、木片からやりを作る方法を覚えました。こうした道具は、ただ単に狩りのためではなく、人類を殺すための武器として使われてきました。
どの大陸でも、あらゆる文明は戦争の歴史に満ちています。
穀物の不足や、金への欲望、あるいは国粋主義や宗教的な理由から戦争が起こってきました。帝国は台頭し、衰退しました。人々は支配され、解放されました。
それぞれの歴史の転換点で罪のないひとが苦しみ、多くが犠牲となりました。
そして、犠牲となった人たちの名前は、時がたつと、忘れられていきました。
広島と長崎で残忍な終わりをみた世界大戦は、裕福で力のある国によって戦われました。
これらの国の文明は、すばらしい都市を築き、壮大な技術を生み出しました。思想家たちは正義、調和、真実の考えを生み出しました。
しかし、支配したい、制覇したいという思いは、小さな部族でも、争いを生みました。
古くからある思考の在り方が、新しい能力によって、増幅されてきましたが、そこには制約するものはありませんでした。ほんの数年の間に6000万人の人たちが亡くなりました。
私たちと同じ、男性、女性、子どもたちです。
撃たれ、殴られ、行進させられ、拘束され、飢え、毒ガスで殺されています。
世界中には、戦争を記しているところや、勇ましく英雄的な行動を伝える慰霊碑があり、墓場やからっぽになった収容所などが、声にならない悪行を伝えています。
しかし、この空に上がったキノコ雲のイメージのなかに、私たちは人類の矛盾を強く突きつけられます。
私たちを人類たらしめている思考、想像力、言語、道具を作る能力、そして、私たち自身を自然から区別し、思いどおりに自然を変える能力。
そういったものが、私たちに度を超えた、大きな破壊力を与えるのです。
物質的進歩や、社会的革新は、こうした真実を見えなくさせるのでしょうか。
どれだけたやすく暴力を正当化してきたのでしょうか。
すべての偉大な宗教は、愛や慈しみ、公正さを説いていますが、決して、信仰が殺す理由になってはいけないのです。
国は台頭し、人々が結束できる理由を探し、犠牲や協力、偉業が生まれますが、同じ理由が人類を抑圧し、異なる人たちを非人間的に扱ってきました。
科学によって、私たちは海を越えてコミュニケーションを図り、空を飛び、病を治し、宇宙を理解しようとしますが、また、その同じ科学が、効率的に人を殺す道具として使われることもあるのです。
近代の戦争は、この真実を、私たちに教えてくれます。
そして、広島は、この真実を私たちに教えてくれます。
私たちの人間社会が、技術の進歩と同じスピードで進歩しないかぎり、技術はいずれ、私たちを破滅させかねません。
原子を分裂させることを成功させた科学の革命は、私たちの道徳の革命をも求めています。だからこそ、私たちはここに来ました。
広島の中心にある、この場に立つことで、原爆が落ちた瞬間を想像せざるをえません。私たちは、あの日、目にした光景に恐れおののき、困惑した子どもたちの気持ちに、思いをはせなければなりません。
私たちは、彼らの悲鳴にも耳を傾けます。あの酷い戦争、その前に起きた数々の戦争、そして、あの酷い戦争の後に起こりうる、あらゆる戦争で殺害された、罪のないすべての人たちのことを思います。
彼らの苦しみとその声は、どんなことばであっても表現しきれないものです。
しかし、私たちは、みな、歴史を直視する責任があります。そしてこのような苦しみを再び起こさないためにも、私たちは何を変えなければならないのかを、自問すべきなのです。
被爆者の方々から、証言を直接うかがうことは、いずれできなくなるでしょう。
しかし、1945年8月6日の記憶は、風化させてはなりません。
その記憶によって、私たちは現状に甘んじてしまうことに、あらがうことができます。その記憶は道徳的な思索を後押ししてくれます。
そして、変わることも可能にするのです。
あの運命の日以来、私たちは希望を持つことのできる選択をしてきました。
アメリカと日本は同盟を結んだだけでなく、友情で結ばれました。その同盟と友情は、戦争が奪う命の数よりも、はるかに多くの人たちに恩恵をもたらしました。
ヨーロッパの国々も連合をつくり、かつての戦場を商業と民主主義で結ばれた場所に変えました。
迫害されている人や国々は自由を求めています。
そして、国際社会は国際機関や国際条約を成立させ、戦争を回避するとともに、核兵器を制限し、減らし、究極的には、廃絶させることを追求してきました。
とはいえ、国家間のあらゆる対立、テロ、腐敗、残虐、迫害といった、世界各地でいまも見られる出来事が、私たちの任務に終わりがないことを示しています。
私たちは、人間が悪を行う可能性を完全に消し去ることはできません。
だからこそ、国家と、それらの間で結ぶ同盟は、自分たちを守る術を持たなければならないのです。
しかし、わが国アメリカのように、核兵器をみずから持つ国は、恐怖の論理から脱する勇気を持ち、核兵器のない世界を追求しなければなりません。
私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、破滅から世界を遠ざける努力を続けなければなりません。
そのために、核兵器を廃絶するための道筋をつけることができるし、核兵器が新たな国家や狂信者たちの手に渡るのを防ぐこともできるはずです。
ただ、それでも足りません。どんなに粗雑な銃や爆弾であっても、すさまじい規模の暴力を可能にするさまを、私たちは今も、世界の各地で目の当たりにしています。
私たちは、戦争に対する考え方を変え、外交によって、紛争を回避し、すでに始まった紛争についても、それを終えるための努力を怠ってはなりません。世界の国々は、ますます相互に依存するようになっています。
しかし、それを暴力的な競争ではなく、平和的な協力につなげるべきです。
起こすことのできる破壊の大きさではなく、何を作り出すことができるかで国の価値を判断すべきです。
もしかすると、何よりも必要なのは、私たちがいかに世界の人々と互いにつながっていて、人類の一員であるのか、改めて思いをいたすことなのかもしれません。
このことこそが、私たちの種の特別さなのです。私たちの運命は、遺伝子で決まっているわけではありません。だから、過去の過ちを再び犯す必要はないのです。
私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに、これまでとは違う話を伝えることができます。人類に共通の価値観があり、戦争が起こりにくく、今よりも残酷な行いを許さない世界の話を。
そうしたものを、私たちは被爆者の方々の話しの中にみることができます。最も憎んでいるのは戦争そのものだとして、原爆を落とした爆撃機のパイロットを許した女性の被爆者の話。肉親を失ったのは自分と同じだとして、広島で原爆の犠牲になったアメリカ人の遺族を探した男性の被爆者の話。
アメリカという国は、シンプルなことばで始まりました。「すべての人は平等で、生まれながらにして生命、自由、そして幸福を追求する権利を持っている」と。
ただ、こうした理想を現実のものにすることは、アメリカ国内であっても、そしてアメリカ人どうしであっても、決して簡単なことではありません。
しかし、この理想は大陸や海を越えて共有されるもので、追い求めること自体に大きな価値があるのです。
どの人もそれぞれの価値があり、誰の命も貴重なものです。私たちが伝えなければならないストーリーは、私たちはみな、人類という1つの家族の一員だということです。
それが、私たちが広島に来た理由です。
愛する人たちのことを考えるために。
朝、子どもたちが見せる最初の笑顔。妻や夫といったパートナーがキッチンのテーブル越しに見せてくれる気遣い。そして、安心をくれる両親からの抱擁。
私たちは、同じような大切な瞬間の数々が、ここ広島で71年前、多くあったことに思いをはせることができます。
亡くなったのは、私たちと同じような人たちです。普通の人たちには理解できると思います。人々はこれ以上の戦争は求めていません。彼らは、科学のすばらしさが人生を終わらせるためではなく、向上させるために使われることを望むでしょう。
国々が選択をするとき、リーダーたちの選択にこのシンプルな英知が反映されれば、広島の教訓は生かされます。
ここで、世界は永遠に変わってしまいましたが、きょう、この町の子どもたちは平和な日々を過ごすことができます。
それはなんと尊いことでしょうか。それは、守り、すべての子どもたちに広げていくべきことです。それは、私たちが選択しうる未来です。
広島と長崎を核戦争の始まりとして記憶するのではなく、私たち自身の道徳的な目覚めにしなければならないのです。」
w650ソロツーリングde天空のポピーと和紙の里へ♪ [ツーリング]
こんにちは〜(#^.^#)
暑くなって来ましたが皆様お元気でしょうか?私は元気です♪( ´ ▽ ` )ノ
久しぶりにバイクに乗ったら、内ももが筋肉痛になったピら手です(^◇^;)
先日の日曜日、久しぶりにソロツーリングで秩父へ行ってきました♪
以下、レポートです(^-^)
2016年5月22日(日)
朝、目が覚めたら5時45分。
目覚ましかけ忘れたー(^◇^;)
今日はだんなさんからツーリングに行ってもいいよって言われていた日だった。
子どもたちはマウンテンバイク教室に連れて行ってくれるらしい。
どうしよう。
そろそろ子どもが起きちゃうかな。
今日は無理なのかー?(´・_・`)
市民清掃デーという事でだんなさんは家の外の掃除を始めていた。
ヨシ!着替えて出発しよう!o(`ω´ )o
いそいそと着替えて、6時30分に出発〜!
行き先は、「天空のポピー畑」
先日訪れた東秩父の農産物直売所にもポスターが貼られていて、一度行ってみたかった。
運悪く(?)前日の新聞にも紹介されてしまっていて、相当な人出が予想されていた。
R299を秩父に向かって走る。
程よくクネクネしていて走りやすい道。吾野宿のあたりにトンネルができてより走りやすくなった。
後ろから来る車やバイクを左ウィンカーで左に寄ってやり過ごしながらマイペースで走るのが気持ちいい♪(≧∇≦)
私を抜く際に手を上げてくれた紳士なイエローコーンのお方は、クネクネの方へと消えていった。
(きっとクネクネ好きなのね♪)
木々の間に武甲山が見えてきて、思わず深呼吸。
この瞬間が好きだなぁ
早朝の秩父は空いていた。
羊山公園の所の交差点を右折してr11へ。
この道も空いていてローカルな大好きな道♪(≧∇≦)
しばらく行くと分岐があり、右へ。
ますます道は細くなり、里山度満点だ^_−☆
しばらくして、ポピー畑の看板があり商店のある信号を左折。
少し行くとポピー畑の看板があり、右折してぐんぐん登って行った。
ここは牧場の専用道路?みたい。
だんだん路駐の車が見えてきた。
赤い斜面が見えて、w650を停めた。
てくてく歩いて行くと、バイク用の駐車場があった(^◇^;)
まぁ入口が砂利だったしー。
到着時刻は7時41分
すでに人が大勢訪れていた。
入口にいた人に協力金200円を支払い、ポピー畑に突入!
朝の清々しい空気と遥かなやまなみの手前に広がる赤いじゅうたん。
なんて気持ちがいいんだろう!
滞在時間30分程でポピー畑を後にした。
8時過ぎ、車の駐車場はだいぶ埋まってきていた。
対向車が続々と来るクネクネ道を慎重に登って、分岐を左に曲がってみた。
見晴らしの良い気持ちのいい道〜(≧∇≦)
ずいぶん高いところまで来ていたんだなー。
9時からの牧場にはひと気がなくて清々しい。
ベンチにぼーっと座っているおばあちゃんがいたり。
とっても喉が渇いていて、水飲み場があって助かった〜(^◇^;)
駐車場に戻る途中にあった小屋で、おばあちゃんが「唐揚げ揚げたてだよー(^_^)おいしいよー」と声をかけてくれた。
お茶と唐揚げを買ったらおまけにもう1つ唐揚げをくれた。
絶景を眺めながらのモーニング唐揚げ、サイコー(≧∇≦)
そういえば朝から何も口にしていなかった。
あんまりおいしくて、作り方を教わろうかと思ったら、業務用の大袋に入った冷凍の唐揚げが置いてあった(笑)
それにしてもおばあちゃん、きっと車を運転してここにきて1日唐揚げを揚げたりお仕事していてすごいなー。
かっこいいな。
私もこんなおばあちゃんになりたいな。
土曜日もすごい人で大忙しだったとか。
日中はポピー畑の駐車場待ち渋滞の列がずっとお店の前の道まで続いていたという。
恐ろしや〜(ーー;)
早い時間に行って良かったみたい〜。
またおばあちゃんに会いに、ここに唐揚げを食べに来よう!o(^▽^)o
牧場を後にして、南へと下っていく。
ポピー畑への曲がり角ではすでに渋滞が始まっていた。
下って行くと続々と車が登ってくる。
無事にr11へ出て、左へ進む。
更にT字路を右へ。
r11を東へと走ると、すぐに和紙の里の看板があり、右折した。
突き当たりを左折すると駐車場があった。
この日は和紙の里で10時からイベントが行われる日だったらしく、9時過ぎだったのでまだ空いていた。
小川和紙の手漉き工房は自由に見学ができるようで、拝見させてもらう。
紙漉きの工房では幅1m高さ60cmくらいの大きな和紙を漉く職人さんが作業中。
大きな木枠を前後に揺らしている。
版画用の和紙になるとのこと。
こんな手漉の和紙に刷る版画ってどんな絵なんだろう?
想像しただけでワクワクする。
木枠から簾(すだれみたいな、でももっと細くて隙間が細かい)ごと外したドロドロの和紙は、
すべて同じ所にどんどん重ねて行き、慎重に簾をはずす。
昔から変わらぬ製法で紙を作り続けているなんて、感動だ〜(≧∇≦)
重ねた和紙は重しをして水を切り、一枚ずつ板に貼り付けて乾かす。
たくさんの手間暇がかけられて、やっと一枚の和紙になる。
和紙があって、様々な手紙や文や絵や版画を書いたりすることができ、
文化が発展したんだろうな。
和紙職人さんって実はすごい文化の功労者なんじゃない?
今でも戦国武将たちの文だってしっかり残っている。
浮世絵も。
和紙が今の日本文化にもたらした影響は計り知れないなぁ。
工房を出ると、版画の展示体験コーナーがあった。
見学させてもらっていたら、「やってみるかい?」と。
はい!ぜひ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
紙代100円を支払って、体験開始♪
一枚の厚さ9ミリのシナベニヤという板を線で4分割して4色の版を彫ってあった。
絵の具を筆でのせて、ブラシでこすってのばす。
濡れた和紙に挟んで湿らせておいた白い和紙をのせ、
最初に薄い黒の影となる部分を刷り、次に緑、黄色、黒の順に刷る。
多色刷りの版画って初めてかもー。
ズレないように紙の端を押さえて、クッキングシートのような紙をのせてバレンで力をいれてこする。
できたー*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)'・*:.。. .。.:*・゜゚・*
教えて下さった方は地元の版画の会の方々で、若い人が来てくれて嬉しいと言われて私も嬉しかったり(笑)(≧∇≦)
版画に打ち込む姿をみて素敵だなーと思いました。
私も多色刷り版画やってみようかな。
サインと落款を入れるとカッコよくなるんだって。
外では足踏みの荒縄の実演を見たり、出し物もあって賑やか。
紙漉きの古民家もあって、ツボでしたー。
見覚えのある方がいらっしゃると思ったら、和凧作りの先生でした。
紙コップのニワトリ、超鳴き声がリアル。
そしてお土産にミニ凧をくれたのはいいんですが、どうやって持って帰ろう、、、(汗)
悩んでいると、目の前に甲冑姿の武者が!
この後、刀で斬る実演をしてくれました。
一人ライダーさんがいて、昔ダブルに乗っていたということでした。
暑い中お疲れ様です。
おやきや、草餅、素敵な和紙の本をお土産に帰路につきました。
凧の棒は、どうしたかって?
悩んだ末、サイドバッグにしならせて挟み込みました。(笑)
新しい積載のカタチ。
悩んでたらお隣の隼ライダーさんが一緒に考えてくれました(笑)
いっぱい素敵な笑顔に会った1日でした。
やや熱風気味のぬるい風の中を走って、松郷峠入口信号を右折。
前から気になっていた道を走ってみる。
プチ山道を味わえるなかなか楽しい道でした^_−☆
木陰の涼も味わえる道でした。
だんなさんと同じウェアを着たロードバイクのお兄さんたちに
手を上げて追い越してr30へと出ました。
1時30分、帰宅。
おやきも草餅も唐揚げも大人気でした。
このルートはかなり気に入りました(^-^)
東秩父の大ファンになりました♪( ´ ▽ ` )ノ
久しぶりのソロツーリング [ツーリング]
今日は久しぶりにソロツーリングでした。
楽しかったー(#^.^#)
ツーレポはまた改めて書きますね♪(^_−)−☆
風防と風切り音★お茶とスナップエンドウの収穫 [メンテナンス]
こんにちは(^_−)−☆
昨日は小学校のPTAの集まりがありました。
ちょこっとだけ時間があったので行く前に風防を着けたダブルに乗ってみました。
帰宅してソッコーで革パン革ジャンに着替えて出発です。
視界は全く気にならず、問題なし。
雨や夜はどうなるんだろう?
ちょっと心配。(´・_・`)
しばらく走って気がついた。
私のダブルってこんなに風の音がうるさかったっけ?
今日はなんかスゴイぞ!?
どうやら時速40kmを超えると、ヘルメットの中の風の巻き込みがすごくて、ビョオオオーとかゴォおおおおーとか、嵐のよう。
気持ち良く加速しても、この音では・・・
(^◇^;)ツーリングはできないよー
身長とかヘルメットの形状とか、色んな要因があるんだろうな・・・(´・_・`)
しかも、布の部分でウィンカーが全く見えなくてなんか不安。
いつも目で点灯を見て確認していたから、見えないのが気持ち悪い〜(^◇^;)
ぐるりと近場を走って、帰宅して大急ぎでまた着替えて小学校へ。
残念だけど、ご縁が無かったみたいでやっぱりはずす事にしました。
はずすのは10分くらいでした。
やっぱりウィンカーが見えるとホッとする〜(≧∇≦)
風防ってつけてみないとわからないから難しいですね。
それにしても風切り音が増幅するなんて予想外の展開でした。
多分、風防で流れの変わった風の通り道にちょうど私のヘルメットの下側があたるのではないかと思われます。
身長のある人やフルフェイスじゃない人なら問題ないのかも。(私は158cm、ヘルメットはアライのフルフェイス)
非常に残念です〜。・゜・(ノД`)・゜・。
気を取り直して今日はお茶摘みとスナップエンドウ摘みに行きました。
(二箇所の畑に行った)
まずはお茶♪
次はエンドウ♪
どっさり!
手前がサヤエンドウで奥がスナップエンドウ♪これだけとって200円でした(≧∇≦)
楽しかったー(#^.^#)
前回(2週間前)より、お茶は大分葉が大きくなり、スナップエンドウは大きくなって探しやすくなっていました。わーいo(^▽^)o
ご縁があって地元の方々がやっている畑にお邪魔させてもらえるようになり、季節によって様々な野菜の収穫が体験できるそうなのでとても楽しみです。
今はじゃがいもの成長真っ盛りでした。いつかじゃがいも掘りも楽しめそう。
お茶っ葉は早速製茶しましたよ♪
今回は蒸したあとホットプレートで乾燥と茶もみをやってみました。
フライパンよりは一度にたくさんできて座ってできるので楽でした(≧∇≦)
初めてカマキリの赤ちゃんを見ました。
ちっちや〜(≧∇≦)
てんとう虫くんも遊びに来てくれた
自然界の営みと恵みを感じました♪
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長野de真田旅(4)室賀温泉ささらの湯で蕎麦打ち♪ [お出かけ]
続きです(#^.^#)
田沢温泉の外湯、有乳湯で朝からひと風呂浴びました。
200円で入れるぬるめですべすべのお湯です。ホテルで券をもらえば無料だったみたい(^◇^;)
7時前でしたが地元の人が朝から入りに来ていました。
今いる場所の歴史がわかる写真集があるって素敵だな♪(#^.^#)
室賀温泉に別れを告げて、解散てす。
大渋滞がすでに藤岡の先発生中で、吉井で降りて下道で帰りました。
近くの薬師堂を見て
朝食をしっかり食べて
談話室でコーヒーをいただきながら上田や小県の写真集を眺めていました。
「目で見る上田・小県 100年史」
昭和60年に真田太平記のドラマで上田周辺は賑わったとのこと。
未舗装路を走る陸王の写真もあったりして面白い!
今いる場所の歴史がわかる写真集があるって素敵だな♪(#^.^#)
超特大サイズの本でしたが。
このシリーズは貴重な郷土資料ですね。
子供たちは朝から卓球で盛り上がっていました。(お父さんが息子にスマッシュを指導してたらしい)
お世話になった富士屋ホテルを出発して、室賀温泉ささらの湯へと向かいます。
あっと言う間に到着(近い)
のどかな里山にその施設はありました
蕎麦打ちは念のためだんなさんが予約してくれていましたが、私たちだけのようです。
2チームに分かれて蕎麦打ち開始
蕎麦打ち道具セット、欲しくなっちゃうわ(笑)
プロのお蕎麦は細い!(さて、とれがプロのでしょう?)
まだまだ修行が必要そうですね。(≧∇≦)
お蕎麦の後は温泉へ
真田丸効果で賑わっているのかな?と思いましたが、意外に空いていました。
ちょっと穴場的な香りのする温泉です。
露天風呂2つと内湯とサウナと水風呂。
露天風呂には寝湯もあり、のんびりと(?)お湯を楽しめました。
娘はあちこち楽しんでいた模様(≧∇≦)
今回の旅のプランナーはだんなさんで、温泉はどれも極上のお湯でした。
アルカリ硫黄泉はお肌にもいいのか、娘は旅行中全くかゆがりませんでした。
お肌がすべすべになるお湯です。
毎日入ったらツルピカになれそう♪
室賀温泉に別れを告げて、解散てす。
また来年も、この辺で集まろうか?なんて話も(#^.^#)
毎年5月に爽やかな信州で過ごせたら素敵だな〜(≧∇≦)
きっと子供が小学校のうちだけなのでしょうけれど。
帰り道は坂城ICから高速に乗りました。
大渋滞がすでに藤岡の先発生中で、吉井で降りて下道で帰りました。
この下道がすごく良かった!
バイクでも走りたいな
東秩父の道の駅で売れ残った筍を出品者の方が分けて下さいました。
下道で帰る旅行は景色も良くてホッとしますね。
今回の上田の真田旅、プランニングから車の運転から色々と担当してくれた
パパ、どうもありがとう♪(≧∇≦)
長野de真田旅☆(3)上田城と安楽寺でお宝との出会い [お出かけ]
長野の旅二日目は森林公園から別所温泉を通り抜けて上田城に向かいます。
夜は雨が降りましたが、朝はスッキリ!
のんびりと電車旅も良さそう♪
上田から別所温泉へと電車が出ているみたいでした。
上田城は上田駅の北西で、徒歩15分くらい(坂道)です。
前日に駅の北側で上田城渋滞に巻き込まれたので、北側は避けて南口の駐車場に車を停めて歩いて行きました。
坂を登りきると、ようやく入り口が見えてきました
上田城跡は公園になっていて、お城はもう無いけれど、幾つかの櫓が残っていて見学することができるようでした。
が、長蛇の列を見て断念(^◇^;)
寄ろうと思っていたNHK大河ドラマ館も、炎天下の長蛇の列を見てやめました。
またブームが去ったら見に来るかも?
(^◇^;)
とりあえず城跡を散歩してみたりお濠のまわりをぐるりと一周して、
公園の敷地内にある上田市博物館に入ってみました。
本館と別館があって、本館は真田氏の後に上田城主となった仙石氏の資料などが展示されていました。
ここで見なくちゃいけないのは別館でした!
真田氏関連の資料や真田幸村の肖像画、真田昌幸所用の鎧兜や、真田氏のではないけれど変わり兜の鎧兜が2点展示されていました。
複製品の場合には、原本は真田氏宝物館と書かれていて、次回はそちらにも行かねばと思いました(^-^)
信号を渡った所にある観光会館(お土産処)は、これまた店内に隙間がないくらいの大行列!
ここでお土産を買うのは諦めました(^◇^;)
感激して駅に戻る途中、上田高校の歴史ある門とお濠を通りました。
古い建物を生かした素敵な作りで、素晴らしいなと思いました。
お濠がある学校って、すごい!お城のようですね。
駅近くのショッピングセンターでお昼を食べて子どもたちにはおもちゃを買っていただき、別所温泉の安楽寺へと戻ります。
安楽寺は鎌倉時代の禅寺で、国宝の三重塔がありました。
拝観時間終了間際でしたが間に合いました。
重要文化財の彫像や、十六羅漢などもありました。
安楽寺を後にして、田沢温泉へ向かいます。
田沢温泉と別所温泉は結構近かったです。
でも雰囲気は田沢温泉の方が温泉街は小さく外湯も1つでこぢんまりとしてひっそりとしています。
田沢温泉富士屋ホテル
長い廊下にたくさんお部屋があるお宿です。
露天風呂はぬるめで、内風呂は熱め。
どちらもぬるすべのお肌に良さそうないいお湯です。
誰もいなくて家族風呂のように貸切で寛いで入ることができました。
食事は卵アレルギー対応もしてもらえて、グループで別室にしてもらえたので小さな子ども連れには助かりました。(子ども四人、大人六人)
夕食も美味しいお酒と共に楽しみました♪火を起こさなくて良いって楽だな〜(笑)
このホテルの近くには有乳湯(うちゆ)という外湯がありました。
翌朝の早朝に息子とお父さんと行ってみました。
坂道に何とも風情がある宿が並びます。
なんてダブルが似合いそうな所なんだろ(笑)
なまこ壁とか、好きなんですよね〜。
ここも入浴200円と良心的な価格です。
(ホテルで券をもらえば無料でした)
湯温はぬるめで長く入れる感じ。
湯治で来る人もいるようです。
昨日の別所温泉といい、この田沢温泉といい、これまで入った温泉の中でも超すんばらしいお湯でした。
長野って、温泉ヤバい!
翌日、室賀温泉へと行きました。
ここでは蕎麦の打ち方を教えてもらいましたよ(^-^)
(これまたすぐ近く)
真田丸に出てきた室賀氏も入ったのかしら?
この温泉もスゴかった!!(≧∇≦)
続く
風防なんとかつきました*\(^o^)/* [メンテナンス]
昨日うまくいかなかった風防の取り付け。・°°・(>_<)・°°・。
なんかグラグラするんです。
どうもハンドルの形状の曲線が原因ぽいので、なるべくまっすぐな所につけてみたらどうかと付け直し。
だんなさんが貸してくれたナットを回す為のラチェットレンチという道具が役に立ちました。
先端が変えられるようになっていて、10と14を使いました。
矢印の向きを変えれば、回す方向を変えられます。便利*\(^o^)/*
Kawasakiの車載工具にもラチェットレンチが入っていましたが、10限定のようでした
私、バイクのメンテナンスなどはいつもお店にお願いしていたので、初めて工具らしい工具というものを使ったかも(笑)
メーターとステー(棒)が干渉しないよう、角度や幅に注意して、緩みとズレ防止にハンドルに両面テープでメッシュのゴムシートを貼り、その上にパイプホルダーをつけました。
何にも噛ませないとグラグラしてしまいます。
視界はこんな感じです。
実際どうなのかな?
そんなに違和感なく溶け込んでいるんですが、どうかしら?
悪っぽいかしら?(笑)
説明書通り、ハンドルに対して下向きに留めています。
雨の日とか高速とかどうなんでしょう。
完成を祝して娘と記念写真
初めてのタンデム(笑)サイドスタンドのまま。
娘がダブルの右側から乗ろうとするので、左から乗るよう指導を入れました( ̄▽ ̄)☆
サイドスタンドは左側だから右から乗ると倒れちゃうからね〜(^◇^;)
足がツンツンだけど超嬉しそう(笑)
↑これは私がやらせたのではなく、自ら希望してまたがっております。
風防効果を試したくて、
試乗しに行きたいなー(o^^o)と思いましたが、だんなさんがお出かけなので次回にお預けです。
もしパパがいたとしても、「一緒じゃなきゃダメ!!」と言うので、
「あのね〜、ママは後ろに子どもを乗せることはできないんだよ〜足がツンツンだから危険すぎるしね。」
と説明。
お友達が親のバイクの後ろに乗っているのを見たとかで、乗りたい様子。
→自分ひとりで精いっぱいなため、絶対に無いです。(笑)
午後は娘と陶器を買いに行って、おやつを食べて、ついでに山歩き♪(娘の希望で)
山は静かで安らぎます
鶯がホ〜ホケキョ♪
山の匂いと鳥の声に癒される〜(≧∇≦)
なんか人がいないと思ったら、出口に熊に注意の貼り紙が。(^◇^;)
熊に会わなくて良かった。
最近熊に襲われる人が全国的にも多いので、人ごとではありません。
帰りに通ったお寺の石碑がとても古そうでした。
先日だんなさんのお父さんが狛犬の設置年を裏を見てチェックしていたのを思い出し、石碑の裏側に回ると、
延寶六と読めた。
調べてみたら
延宝六年 →1678 年
江戸時代76年目
でした。
今から338年前で、
wikipediaによれば
だって。
石は石仏、墓石、石碑や灯籠など、数百年の歳月を経ても雨風や火事や戦争にも耐えて残っていて、歴史を語り伝えてくれています。
何と素晴らしい素材なのでしょう。
そういえば山の中にも古そうな石像がありました。
時代を越えて残る石たち。
その歴史と私たちの人生ではあまりに差がありすぎて、人の一生は ほんの一瞬のように感じられます。
長いようで短い自分の人生をどう生きるか。私には何ができるのか。
最近少しずつ自分の方向性が見えてきたような気もします。
色々な事に挑戦して行きたい。
今後も石に注目して行きたいと思います(o^^o)
風防を付けたw650 [メンテナンス]
こんにちは。(#^.^#)
今日はダブルに風防を取り付けてみました。
結構時間かかって、
しかし、問題発生。(^◇^;)
ハンドルを変えているせいか、ステーがしっかりつかなくて、不安定。
うーん困ったなぁ
本日はタイムオーバー(ToT)/~~~
また明日、挑戦してみたいと思います〜(^◇^;)