カワサキの歴史を知った日★タクシーでドキドキなお迎え [バイクに関する本]
今日は帰宅途中にだんなさんからメールで
「緊急事態発生!お迎えいける?」
って。
保育所の延長保育やら学童の延長保育やらに電話をしてもらって
OKをもらって、急遽銀行でお金をおろしてタクシーでお迎え。
(お財布からっぽだった・・・(^_^;))
タクシーの運転手さん、最初に保育所に向かいそうになって
慌てて「学童です!」って言ったら、突然バックしかけて後ろに
ピザ屋の原付と車がいて。
「うっうしろいますよ!」
って言ったら、右の駐車場へ入れてUターンしようとして、
追い抜こうとしたピザ屋の原付にぶつかりそうに。
あードキドキしました(^_^;)
とりあえず間に合って、家に帰って、すぐ子供におやつを与えて
お囃子へ連れて行った。(お囃子を習い始めた息子)
とりあえずギリギリ間に合ってホッとした~
昨日の夜は、カワサキの本を読みながら眠ってしまいました。(笑)
Wシリーズの辺りや、カワサキのルーツなど、初めて知ることがいっぱいで・・・。
夢のなかへ。
例えば、「W1S」というバイク、「S=スペシャル」なんだって。
「ダブワンスペシャル」って読むんですね~。
知らなかったなぁ。
「R=レーサー」と読むとか・・・知らなかった~。
本を読んでわかったこと
●1960年11月、目黒製作所と川崎航空機工業が業務提供した。
●1962年、目黒製作所が経営難でカワサキの資本が増やされ、社名がカワサキメグロ製作所となる。
(ちなみに、目黒は、目黒不動が近くにあったことから名づけられたのだとか。)
●アメリカ向けに国旗カラーをイメージした赤×青のW1を製作
●1966年~69年の間、日本仕様のW1系は国内最大の排気量車であった。
●さらにアメリカ人好みに合わせ、1967年からは米国専用のショートサイレンサー付W1SSと
ツインキャブ化W2SSを輸出した。
●このW2SSは、ほぼそのまま国内でW1Sとして1968年3月から1971年2月まで販売
●1971年2月W1SAデビュー(チェンジペダルを右から左に変え、大人気となった)
●国内メーカーがハイテク化を図る中、Wシリーズは排気音やメカニズムを味わうバイクとして
ツーリングクラブなどができていった。
●1973年1月650RS(RS=ロードスター)W3登場 カワサキ初のダブルディスク装備
●W系はメグロスタミナK1から16年間もの奇跡的なロングランを続けた
「緊急事態発生!お迎えいける?」
って。
保育所の延長保育やら学童の延長保育やらに電話をしてもらって
OKをもらって、急遽銀行でお金をおろしてタクシーでお迎え。
(お財布からっぽだった・・・(^_^;))
タクシーの運転手さん、最初に保育所に向かいそうになって
慌てて「学童です!」って言ったら、突然バックしかけて後ろに
ピザ屋の原付と車がいて。
「うっうしろいますよ!」
って言ったら、右の駐車場へ入れてUターンしようとして、
追い抜こうとしたピザ屋の原付にぶつかりそうに。
あードキドキしました(^_^;)
とりあえず間に合って、家に帰って、すぐ子供におやつを与えて
お囃子へ連れて行った。(お囃子を習い始めた息子)
とりあえずギリギリ間に合ってホッとした~
昨日の夜は、カワサキの本を読みながら眠ってしまいました。(笑)
Wシリーズの辺りや、カワサキのルーツなど、初めて知ることがいっぱいで・・・。
夢のなかへ。
例えば、「W1S」というバイク、「S=スペシャル」なんだって。
「ダブワンスペシャル」って読むんですね~。
知らなかったなぁ。
「R=レーサー」と読むとか・・・知らなかった~。
本を読んでわかったこと
●1960年11月、目黒製作所と川崎航空機工業が業務提供した。
●1962年、目黒製作所が経営難でカワサキの資本が増やされ、社名がカワサキメグロ製作所となる。
(ちなみに、目黒は、目黒不動が近くにあったことから名づけられたのだとか。)
●アメリカ向けに国旗カラーをイメージした赤×青のW1を製作
●1966年~69年の間、日本仕様のW1系は国内最大の排気量車であった。
●さらにアメリカ人好みに合わせ、1967年からは米国専用のショートサイレンサー付W1SSと
ツインキャブ化W2SSを輸出した。
●このW2SSは、ほぼそのまま国内でW1Sとして1968年3月から1971年2月まで販売
●1971年2月W1SAデビュー(チェンジペダルを右から左に変え、大人気となった)
●国内メーカーがハイテク化を図る中、Wシリーズは排気音やメカニズムを味わうバイクとして
ツーリングクラブなどができていった。
●1973年1月650RS(RS=ロードスター)W3登場 カワサキ初のダブルディスク装備
●W系はメグロスタミナK1から16年間もの奇跡的なロングランを続けた