慈光寺ツーリング [ツーリング]
こんにちは。
何故か最近お寺と縁があるピら手です。
桜があっという間に満開になり、あっという間に散ってしまった東京〜埼玉です。
3月から4月にかけては慌ただしい日々でした。
そんな時、ふと行ってみようと思ったのが埼玉県のときがわ町にある慈光寺でした。
ここには、思いがけない宝物がありました!(≧∀≦)
以下、レポートです。
2018年3月下旬の日曜日。
朝一番に息子を駅まで送り(遠足)、午前中は娘と過ごし、
午後はフリータイムをもらうことに。(やったぁ(≧∀≦))
少しの時間で行ける所で、行きたい所・・・!?
ときがわ町にある慈光寺に行ってみたかった。
ときがわ町はとても大好きな場所で、いつも心癒される里山だ。
そして、慈光寺は、少し山を登った所にあり、以前から気になっていた。
先日、俳人の金子兜太さんが亡くなられた時に、
かつてこの寺で金子兜太氏とドナルドキーン先生が対談をしたと知った。
春には花の名所でもあるというこのお寺、慈光寺へ勇気を出して行ってみることにした。
県道30号線を北上して行くと、田中の交差点に出る。
交差点を左折すると急に車がいなくなり、道が貸切に。
里山風景をのんびりと、満開の梅を眺めながら春を感じて走る。
バイクって最高!と思う瞬間。
見覚えのある宿交差点を右折し山を登って行く。
ヘアピンカーブなどもありドキドキしたが、ほとんど対向車もなく
無事にゆっくりと登って行くことができた。
いくつかのカーブを抜けると、鬱蒼とした山の中に入って行く。
ひとけがなく少し不安になってくる。
時刻は3時半頃だった。
思ったよりも人がいなくて驚く。
途中、石碑が立ち並んでいるところがあり、独特の雰囲気に少しビビる(笑)
時折視界がひらけ、眼下に梅の花が咲いているのがチラリと見えた。
慈光寺駐車場の表示に従い、バイクを停めた。
駐車場はさほど大きくはなく、舗装されていた。(これはかなり重要)
ここから少し山を登るのかもしれない。
バイクブーツで大丈夫だろうか?
少し不安になる。
観音堂まで10分と書いてあった。
大きな石段を登るとひっそりと古い山門があった。
本堂は閉まっているようだったが、中には人がいるようだった。
宝物館は4時までのようで、慌てて本堂へ行き声をかけて宝物館を見学した。
小さな宝物館ではあるが、お経の書かれた巻物や、仏像など貴重な宝物が展示されていた。
中でも、珍しいという冠を被った仏様(運慶作との説がある)や、
源頼朝が奥州平泉の藤原氏を討つ際に勝利を祈願して贈ったという愛染明王の小さな像、
そして書状には感激した。
頼朝がこの寺に願いをかけていたとは驚きだった。
義経記を読んでから来てよかった。と思った。
ときがわ町の慈光寺って・・・すごい所だったんだ。。
知らない日本をまた発見してしまった。
お寺って何故だかとても落ち着く。
さらに、宝物館から石段を登ると観音堂があった。
ここには本尊の千手観音像が安置されている。
年に数回しか開帳されない秘仏である。
4月8日に開帳と供養、イベントが行われるようだった。
本尊の近くにはときがわ町の人々が羽黒山を参拝した記録の石碑などもあり、
信仰と歴史を感じた。
観音堂の少し下には写経場があり、写経会もこの建物で行われているようだった。
ここで写経をするのもなかなか楽しそうだ。
境内には、様々な人の写経の写真掲示があった。
夕方の慈光寺にはとにかく人がいなくてひっそりとしていた。
本堂の横には時の鐘があり、さらに下って行くと鎌倉時代の銅鐘があった。
なんと関東で最も古い銅鐘のようだった。
鐘楼は昭和60年の火災で焼失したが、鐘は残ったようだ。
こんな山の中に、ひっそりと鎌倉時代からある銅鐘。
音色を聴いてみたかったが、鐘は撞けないようだった。
焼失したお堂の跡などを眺めて慈光寺を後にした。
板碑という供養塔の建ち並ぶあたりで少しバイクを降りて見学し、
帰路についた。
板碑よりも上の世界は異世界っぽい感じだった。
かつては板碑よりも上は女人禁制の道で、
女性は山道に分け入り慈光寺を目指したのだという。
また一つ、知らなかった日本を知ることができて
良かった。
いつか千手観音像に会えたら良いな♪(=^x^=)
良かったら4月8日に千手観音像に会いに行ってみて下さい♪
宿交差点近くの建具会館や、うどん屋さん「やすらぎの家」お蕎麦やさん「とき庵」あおぞらカフェ「とき庵の先の喫茶店(名前不明)」
もおススメです!