2019おくのほそ道ソロツーリング(5)3日目★医王寺〜まるせい果樹園〜森のガーデン〜白河関〜遊行柳〜西那須野 [ツーリング]
3日目の続きです。(^^)
医王寺を訪れました。
以下、医王寺HPより
「医王寺の紹介|真言宗豊山派瑠璃光山医王寺
https://www.iou-ji.or.jp/ioujinitsuite.html
境内のご案内
医王寺境内には、弘法大師(空海)御作の薬師如来をまつった本堂や薬師堂をはじめ、松尾芭蕉の句碑、また平安時代末の信夫荘司佐藤基治公、乙和御前、佐藤継信・忠信兄弟の墓石や、源義経、武蔵坊弁慶、佐藤継信・忠信兄弟にまつわる寺宝などもございます。ぜひとも多くの方にご来寺頂き、医王寺の歴史や文化に触れていただけたら幸いです。
本堂
当寺は、山号を瑠璃光山といい薬師如来の別称「医王」を寺号とし、平安時代の天長三年(826)に開基されました。本堂本尊は大日如来、薬師堂本尊は、弘法大師御作の薬師如来をおまつりし、古くより鯖野薬師と呼ばれ親しまれております。また奥州藤原氏の一門であり飯坂をおさめていた佐藤一族の菩提寺で奥州三十三観音特別霊場にもなっております。
元禄二年(1689 )五月『奥の細道』の途中、医王寺を訪れた松尾芭蕉は、佐藤兄弟を偲び「笈も太刀もさつきに飾れ紙のぼり」と詠んでおり、その句碑が境内にございます。
奥州藤原氏の一門であり信夫の地をおさめていた佐藤基治公の息子継信、忠信兄弟は源義経に付き従いました。のちの戦いで継信、忠信兄弟は義経の身代わりとなり壮絶な最後を遂げます。二人の息子を失い悲しみにくれる老母乙和の姿を見ていた継信の妻「若桜」と忠信の妻「楓」は、乙和の悲しみを慰めようと夫の武者姿に扮したという悲しくも美しいお話が残っております。その優しくて気丈な二人の人形が本堂にまつられております。」
本堂へ
だあれもいない・・・。
悲しすぎる逸話は知っていたのですが、このお寺に二人の妻の甲冑姿が祀られているとは知らずに、本堂の中へと入りました。
朝イチのせいか、誰もいない本堂の中、お仏壇の隣のお部屋を見ると、、
え!
この二人、佐藤兄弟の妻達・・・
亡き夫の甲冑を着るなんて悲しすぎて、辛いですよね・・・。
手を合わせて本堂を出ました。
本堂の中や、平泉でも気になったのですが、義経の大河ドラマを昔やっていたようで、タッキーの甲冑姿の義経ポスターが貼られていました。今見てみたいので再放送してくれないかな・・・?(妻夫木くんの直江兼続も見たいけど(^^))と思いました。
やっぱり大河ドラマは武将ものが好き。
本堂の横には芭蕉の句碑がありました。
よく見ないと読めないくらいに消えかかってたけど、
芭蕉がこの寺で弁慶の笈や義経の太刀を見て詠んだと言われています。
医王寺HPより
「松尾芭蕉ゆかりの地
元禄2年(1689)、俳聖松尾芭蕉は、『奥の細道』の行脚で当寺を訪れております。芭蕉は医王寺に残る悲しくも愛情に満ちた佐藤一族のお話に触れ「中にも2人の嫁がしるし先づあはれなり、女なれどもかひがひしき名の世に聞えつるものかなと袂(たもと)をぬらしぬ」とし「笈も太刀もさつきにかざれ紙のぼり」と詠んだ句を残しました。
一説によると、芭蕉が旅の中で感涙の涙を流したのは全部で4回といわれていますが、その一つがこの医王寺で流した涙だと言われております。」
なんで私、芭蕉が訪れた場所を巡っているのだろう?
なぜかわからないけれど、実際に見てみたかった。
実在する場所がある。実在する宝物がある、風景がある。平和な時代だからこそ辿る事ができる。
実際に芭蕉が訪れた場所に行ってみると、そこに芭蕉がいるような、そんな感覚になる。
本堂から奥へと杉の並木のある石畳の道を歩くと、佐藤兄弟と義経の石像があり、さらに奥には薬師堂の奥に佐藤家のお墓があった。
大きな石を積んだ見たこともないようなお墓だった。
手を合わせ、戻ると蓮池があり、中尊寺蓮や様々な蓮が咲いていた。
薄ピンクや鮮やかなピンクがとてもキレイ!!
蓮の花は午前中が見頃だと言うけど、まさに見頃を迎えていた。
蓮の咲く季節はとても暑いんだよね・・・。
汗だくだった。
でもなんだろう、この心が澄んで行くような、穏やかになるようなお寺の雰囲気。お寺って落ち着くなぁ。
宝物館には義経や弁慶、佐藤家ゆかりの品があった。
中でも弁慶の笈だと言われる荷物入れや、佐藤兄弟の討たれた時の武器や、かつての医王寺の写真など貴重な資料が多く感動した。
帰るときに門の横のシラカシの木に普通にカブトムシがいて、初めて木にカブトムシがいる所を見たので、思わず写真に収める(笑)
長いこと見学していたので、入口のお坊さんにちょっとびっくりされつつ、医王寺を後にした。
やっぱりおくのほそ道を辿る旅はすごく歴史も感じられて良いなぁ。
さて、この近くにまるせい果樹園があるので立ち寄った。
桃の配送をお願いしたかった。
罪滅ぼしと、いただき物のお返しの桃を6件送る伝票を書いて敷地内のカフェ森のガーデンへ。
まるせい果樹園に来る前に通って、並んでいるのは見えたけど名前を書く所があるのは気付かず、素通りしてきてしまっていた。
書いておけば、割とすぐ呼ばれたっぽいけど、、書いてなかったので22番目(!)に呼ばれるのを待つ。
ひなたでバイクに乗っているのと比べたら、日陰でなんと涼しいことか。
ツーリングマップルを見たり、前日の記録をつけたりしながら約1時間後、呼ばれたー!!(*゚▽゚*)
やったぁ
桃のパフェとクリームチーズのパンを頼んでアイスコーヒーを飲む
最高だー(*≧∀≦*)
今年は桃が不作との事が書かれていたけど、全然問題なく甘くておいしいパフェでした!
やっぱりここの桃はおいしいな♪
送った桃もとても甘かったです(^^)
さて、すっかりお昼近くなり、熱風の中走り出します。福島飯坂インターはすぐ。
高速で白河インターを目指します。
雲行きが少し怪しくなってきて焦ります。
白河インターで降り、間違えて右(北)へ行ってしまった・・・。
途中の信号で左折してUターンしました。
左折して白河関を目指します。
東西に走る道って空いていて好き♪
途中白河関の小さな看板の分岐があり、ちょっと通り過ぎてUターン。
ついでに写真も♪
途中T字路を左へ。
白河関へ向かう道は細めです。
鬱蒼とした丘の上にある白河神社にお参りしました。
ここが白河関跡・・・。
ここを越えるというのも歌枕を訪ねていた芭蕉にとっては忘れられない場所だったろうなぁ。
白河神社は誰もいなくて薄暗く、石段なども苔むして少し怖かった(笑)
さて、白河関の森公園へ寄ってみると、この日は関守亭はお休みだった。
お昼ご飯のお蕎麦でも、、と思っていたけど、残念。
またいつか・・・。
時間も押していたのでお昼はカットする。
そして、次の目的地は遊行柳だ。
きた道を北へ少し戻ると、左に曲がる道があって、道なりに行く。
さっきのT字路を曲がらず直進すると、国道に出る。
田んぼと山の間を走る道である。
意外と国道まで、かなりの下り坂で高低差に驚いた。
国道を南下していく。
右手は田んぼ、山、雨雲・・・(汗)
気持ちのいい道だが、交通量は結構ある。
どうか雨降りませんように。
遊行柳の休憩所(農産物直売所)と駐車場があり、バイクを止めた。
歩いて向かうと、手押し車を押したおばあちゃんがいて、こんにちは、と挨拶する。
「あなた、旅の方?」
というので、「そうです(^^)」と答える。
何気ない会話が和む(´∀`)
柳は田んぼの中にぽつんとあり、2本くらいあって、結構大きな木だった。
世代交代したっぽいけど、今も名所として訪れる人もいるのだろう。
芦野宿を通過して黒羽方面へと向かう。
本当はスタンプポイントの那須歴史探訪館へ寄りたかったが、分岐が分からず通過してしまったようだ。
看板はあったけど、細い道で、なぜか通過した(笑)
しばし南に向かって走る。
今にも降り出しそうな空。
芭蕉の訪れた地という事で、すごくアピールしていた。芭蕉の公園や施設などもあるみたい。
芭蕉ってすごい影響力だなぁ。雲厳寺は時間がなくてパスした。
急いでみるのももったいないのでまたのお楽しみに取っておこう♪(^^)
西へと向かう交差点を曲がり、道の駅那須与一の郷へ。
ここもスタンプポイントの一つ。
スタンプを押して本当は那須神社も見たかったけど、やはり時間と天気の関係で次回に回す。
この道の駅も那須与一のシアター?などあるようで、楽しそうな場所だった。この日はもう閉まる寸前。
また来よう!
バイクに戻ると、私のバイクを眺めている男性がいた。
こんにちは(^^)
バイク好きっぽいその方は、ヒッチハイクで九州(福岡?)から日本一周中の方だった。
日本一周の人、二人目!(笑)
ヒッチハイクは移動が大変らしく、今度はバイクでやりたいと話していた。
kawasaki乗りさんだそうです。
いつも私のバイクはたいてい「きれいにしてますね。」と言われる。
確かに、時々は自宅で拭いたりしているのでピカピカだ。大切にしている事が分かると言われて嬉しくなった。バイク乗りの目線ってあると思うけど、ダブルは磨くのも楽しめるバイクなのである。
こだわりのあるバイクで、しかも女性、という所に思わず話しかけたとか。
テント泊というYさんというその方と雑談して別れ、西へと向かう。
西那須野駅の少し先にあるホテルが目的地だった。
道は次第に混んできて、3車線の道が車でいっぱい。
夕方の帰宅時間帯に入っていた。
途中、駅の表示で右折してコンビニで買い出し。
そこから宿まで少し迷って何度もスマホで確認していると、雨が降り出した。
やばい!
次第にザーザー降りに・・・
ようやく大きな道に出て、ホテルを見つけた。
やっぱりわかりやすい場所にあるってとても便利だ。
慌てて荷物を降ろし、チェックインして部屋へ入る。
ベットのある狭い部屋。
ビジネスホテルだから、仕方ない。
玄関がなくて絨毯に靴っていうのもなんだか落ち着かない。
スリッパも微妙だし・・・。
ひとまず一階の温泉へ。
このビジネスホテルは温泉があるのだった。
幸いに誰もいなくてさほどは広くないので助かった。
すごくすべすべになる美人の湯だぁー!
さっぱりしたら外へ食事に行く。大きめのファミレスほどの建物のラーメン屋さんがありラーメンと餃子とビールで乾杯。
近くのツタヤには吾妻鏡や古典文学の本は置いていなかった。(^-^;
翌日に備えて就寝・・・
最終日は日光を目指す。
小学校の修学旅行以来だけど、覚えているだろうか?
天気は持つだろうか?
それが一番の気がかりだった。
続く
旦那の甲冑を着て母を慰める・・・
女子目線なら悲劇かもですが、男子目線からすれば
武士として戦場で、主君を守るための戦死。となれば、男子の本懐、男の花道!。。これ以上名誉な死は無い位です。
それと、昭和の頃のNHK時代劇、武蔵坊弁慶もオススメです。
ああ。ももパフェが美味そうだ。
んー。。2日連続でラーメンですな。
by すらいむらいだー (2019-09-02 22:13)
すらいむらいだーさん
命がけで生きるしかない、
切ない時代でしたね。
夫の甲冑を着た妻達を見たらより悲しくなりました。
桃パフェ、並ぶのは1時間、食べるのは一瞬でした(笑)
by ピら手 (2019-09-08 21:55)